カフェはじめました vol.2

オープンと同時に計ったようなタイミングで店の前の国道220号線で工事が始まった。

これもんの、

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これもんの、

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こんな感じで、

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当店へのお客様のアクセスが著しく制限されている。

国土交通省さん試練をどうもありがとう。

店の窓から眺める光景は、さながら重機の博覧会場。店内は振動と喧噪に包まれ、chill out cafeと銘打っているが、実際は寝た子も飛び起きる戦場の様である。

とはいえ、もともと無理のないペースでスタートしようと決めていたので、金土日のみの予定が、工事が休みの土曜の午後と日曜だけの営業となっても、さまで凹んではいない。もちろん‥‥、いや、不平は言うまい。言い訳もすまい。

なぜなら、そういう状況にも関わらず、それでも来て下さるありがたいお客様がいらっしゃるからだ。本当にどれだけ感謝しても感謝しきれない。GW中には遠方からのお客様にも来ていただいたが、こちらがバタバタしていてゆっくり話をすることができなかったのが悔やまれる。

そんなようなわけで、パソコンを触る時間がちょこちょこあるので、この隙に、オープン前後のもろもろのことを書いてみようと思う。

自分の頭を整理する助けにもなるし、また、今後自分の店を持とうと考えている方に、最初から思い通りにはならないぞという教訓(というか自戒)の意味も込めて、何らかのヒントにでもなれば幸いである。

実質第1回目なので、これも何かの縁だろうし、工事のことを書いてみる。

 

店があるのは、日南海岸で有名な国道220線の、鵜戸神宮にほど近い小さな集落である。

急カーブの前後左右に20戸ほどの民家が寄り添っている。

このカーブが、内にくらべて外側が1mほど高くなっていて、いわゆるサーキットコースのバンクのような構造で、良く言えば非常に走り易いのだが、それだけスピードが出やすく、ここを通るドライバーは、さながらインディ500のレーサー気分で、いつもよりうまく行くコーナーリングに酔いしれながら、結構なスピードで駆け抜けて行くのが常となっている。
法定制限速度は50㎞だが、順守しているドライバーは少ない。

それでも、なにしろ走りやすいので、私が知る限り、このコーナー付近で重大な事故というのは起きていない。それはそれで結構なことなのだが、問題は、地元住民が道路の向こう側へ渡る場合である。ことにカーブの内から外へ、バンクの傾斜を登りながら渡る時が厄介である。

駐車場へ行く。畑やハウスを見に行く。ゴミ捨て、回覧板、バス停‥‥、ほぼすべての区民が、日常的にこの道路の横断の必要に迫られる。

しかし、信号機はもちろん横断歩道もないため、思い思いのポイントから、それぞれの自己責任において、意を決して渡るしかない。

急カーブで見通しが悪く、左右を確認して渡り出しても、渡り出してから視界に入ってくる車に、そのまま行けば余裕でハネられる。

有名な観光地で、しかも日南宮崎を結ぶ幹線道路であるから、交通量は多い。

渡り出して、左から車が来て、やり過ごそうと立ち止まるが、2台3台と連なり、そのうち右から来た車にけたたましくクラクションを鳴らされ、あわてて戻るか、立往生してしまうことも少なくない。

私でさえそうなのだから、子供や高齢者はさらに危険で、子供の横断には常に付き添いが必要となるし、達観した高齢者の中には、ほぼノールックで渡る人などもいて、さすがにその場合ドライバーの方が減速して衝突を回避するのだが、そうなると今度は車同士の追突事故の危険も増すわけで、いずれにしても危ないことこの上ないのである。

山道などで「鹿に注意‼︎」の標識を見かけるが、「地元民に注意‼︎」の標識も用意した方が良さそうな状態であった。

さすがにこれはイカンだろうと、信号機を設置してくれと各方面に働きかけたところ、信号機は警察、横断歩道は国交省(だったかな?)と管轄が違い、いきなり信号機はむずかしいということで、まずは横断歩道を設置して様子を見ようということになった。

区民の間では「誰かがハネられるまで付けんちゃが‥‥」とまことしやかにささやかれていたが、そんなことは絶対にあってはならないのである。

念入りな測量の結果、光栄なことに当店の目の前が、左右の見通しがもっとも効く場所と認められ(店の経営もそうあってほしい)、ここに横断歩道を設置するための工事が始まったという次第である。

その前に歩道の拡張と強化を、となり、それには地盤が弱すぎる、となって、掘削し、基礎を作り、土砂を入れ、舗装し、街灯を立て‥‥、数日の工事のはずが、結局ひと月半かかって、ようやく6月15日にすべての工程が完了したのである。

おかげで、非常に渡りやすくなった。私に限って言えば、余裕をもって渡れる。ありがたいことである。ただし、高齢者や子供は今後も注意が必要であろうし、横断歩道の注意喚起をドライバーにしていく必要もあるだろう。

重機が消え、作業員やガードマンが去り、村にはいつもの光景が戻った。

 

さあこれから、と思ったのもつかの間、今度はその先の道路ががけ崩れのため寸断され、chill out cafeテンベアは、さらなる試練に見舞われることになるのだが、それについてはまた別の機会に‥‥。

 

 

 

 

RadioHeadレディオヘッド アルバム考その7 インレインボウズInRainbows

今回はコレ。

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いや~良いアルバムだ。

良い意味で力の抜けた、大人の余裕を感じさせる作品。全編通して集中が保たれ、作り込みのさじ加減も絶妙。OKコンピュータやキッドAが少々尖り過ぎという方には、私は迷わずこの作品をおすすめしている。

全体の音数がぐっと減り、それだけメンバー個々の成熟した表現が直に伝わる。テクノっぽいアプローチを封印して、今回はそれがうまくハマっている。

ダンサブル(踊れなくもないという程度だが)な曲もあって、あのレディオヘッドがな〜と感慨深い。

まずは2曲目のボディスナッチャー


Radiohead - Bodysnatchers - Live From The Basement [HD]

ちょうど半分を過ぎた頃、演奏前のオーケストラのチューニングを思わせる不揃いな音が、指揮者が振るタクトのようなジョニーのギターに合わせて、すっと揃う瞬間の気持ち良さ。

バラバラだったワルたちが、ある出来事をきっかけに1つにまとまり、団結して花園をめざす、みたいな胸のすく展開。

このVを観ても、トムは途中までずらしずらし唄っているし(なんとなくボブディランっぽい)、曲の意図をバンドが完全に理解して音を出していて、計算されつくしたミステリーを紐解くような知的な愉しみがある。さすが読書家の多いバンドらしい。

タイトルでピンと来た方もいるかもしれないが、実はこれ、同名の映画にインスピレーションを得た作品で(簡単に言うと地球外生命に体を乗っ取られる話)、ズレた感じ、音の揃わない感じは、自分の体が自分のものではなくなっていく違和感や恐怖心を表している。

自分がわからない、どうにも動けない‥‥、悩み、惑う間は、音も不揃いで、どこか聞き苦しいが、全部俺のせいだ、俺は偽物だ、と、己の罪や弱さをはっきり自覚した瞬間から、たとえようのない美しさを身にまとうという、それは、デビュー以来一貫しているトムの人間理解で、創作のテーマとも言えるだろう。

あやのあるストーリーを、バンドが一体となって表現している。簡単なことではないが、先に書いた、肩の力の抜けた大人の余裕と、一人一音と言うか、一音必殺と言うか、音数に頼らない、一音に込めた思いの正確さで伝え切っているのが、この作品を珠玉のレベルまで高めている要因だろう。

そういう意味で、五曲目のオールアイニード。


Radiohead - All I Need (Scotch Mist Version)

これぞまさに一人一音って感じ。途中ジョニーがシンセ弾きながら鉄琴叩いてるけど‥‥。

バンドをやっている人には、ぜひこういうごまかしのきかない曲で、メンバー同士の音や呼吸の合わせ方を知ってほしい。

トムの書く詩はシンプルで言葉数も多くないので(それだけ広がりもあるのだが)、英語が得意じゃない、洋楽は苦手という人でも、すぐに入り込むことができると思う。

この曲も途中トムがピアノを弾きだす前辺りからぐあーっと盛り上がってきて、「すべてよし」「全部だめ」のリフレインの果てにぶつっと曲が途切れて後に余韻が残る。

情景描写のようなエドのギターと曲をリードするコリンのベースが印象的だ。

そしてレディオヘッドの曲を聴くといつも思う事だが、フィルセルウェイのドラムの安定感というか落ち着きが、バンドの繊細な表現の中でいかに重要なパートかということを改めて思う。ストーンズのチャーリーワッツとかレッチリのチャドスミスとか、出しゃばらず一見地味だけど、実は非常に個性的で芯の強いドラマーがいるバンドは、長続きするし、バンドの進化や成長を引き出しやすい気がする。

最後はこの曲。

 
Radiohead - Reckoner - Live From The Basement [HD]

私的には、レディオヘッドの全曲中でもトップ10か、ひょっとすると五指に入るぐらい好きな曲だ。

歌詞は非常にわかりにくい(舌の根も乾いてないけど)。おごそかで、宗教的でもあるが、空しさとか無常観が色濃く、西洋よりは東洋っぽい。

サビの部分に言う。

Because we separate

Like ripples on a blank shore

In rainbows

トムも認めているし、歌詞がアルバムタイトルに採用されていることからも、この曲がアルバムの核になっているのは間違いない。

この曲も、サビに入る直前の静けさの作り方が秀逸で、アルバム全体のテーマをファルセットで唄うトムの声が、耳や脳より深いところへじわっと染み込んでくる。

収録された全十曲、こうして、すべてがただでは終わらない。うねり、起伏し、うつろい、変化し、曲が変わっても、連なりは消えない。十曲聴き終えて、リピートされて一曲目が始まる。普通はそこで気持が途切れるが、このアルバムはそのまままた聴き入ってしまう。まるで輪廻転生のように。

ひとりのファンとしては、こういう作品をまた頼むよと思ってしまうのだが、それに簡単に応えるようでは、レディオヘッドレディオヘッドでなくなってしまう。

成功をむさぼらず、居心地の良い場所にとどまらず、せっかく登った高みから、その先に奈落が待ち受けていようとも、彼らは歩みを止めないのだ。

実際彼らは次作で地獄を‥‥いや、それはまた別の機会に。

 

カフェはじめました vol.1

さる5月4日、日南海岸の国道220号線沿いにカフェと雑貨の店をオープンしました。

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こんな感じです。

詳細は、また時間のある時に。

RadioHeadレディオヘッド アルバム考その6 ヘイルトゥーザシーフ

今回はこれ。

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タイトルのhail to the thief =泥棒万歳は、「hail to the chief」(大統領万歳。アメリカ大統領のテーマ曲)のもじりで、当時の大統領選で票の集計に不正があったとして訴訟を起こされたジョージwブッシュに対するあてつけ。

ちなみにブッシュ前大統領は下の写真の右側。

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左だったかな。

で、うーん、これは‥‥、

なんというなんということもないアルバムだろう!

全曲通して聴いても、後に何も残らない。

OKコンピュータの胸を掻き毟りたくなるような感覚も、キッドAの高みにのぼって行くような清々しさも、何もない。ただ曲が始まり、いつの間にかそれが終わっている。

何でだろうと不思議に思った。曲が良くないとか、演奏の上手い下手とか、このアルバムが気の抜けた炭酸水のように弾けてこないのは、そうしたこととは別の理由による。

最高の料理人が極上の素材を使ってテキトーに作った料理。そんな感じか。

要は熱意の問題だろう。厳しい言い方をすれば、心がない。魂が入ってない。

だが、それも無理からぬことではある。世界でもっとも影響力のあるバンドの1つになり、億万長者にもなって、その状態で5~6年も過ごせば、嫌でも人は変わる。

彼らが成功を夢見るワーキングクラスの若者だった当時の曲作りの手法をそのままなぞってみても、同じものができるはずもないのである。

かく言う私は、大金とも成功とも縁のない人生を胸を張って歩んできたが、幸い縁には恵まれて、大金や成功と縁の深い友人知人は少なからずいる。

彼らを間近で見てきて悟ったことは、十分な財力を有すると、私ごとき凡夫が抱える悩みの大半は、跡形もなく霧消してしまうだろうということだ。

たとえば、私の母は認知症で、昨夏から施設のご厄介になっているが、昨日がちょうど母の日で、それもあって仕事の後で会いに行き、食事の介助をし、ベッドに寝かせてしばらく話をした。

施設から帰る時、それはいつものことだが、車に乗ってエンジンをかけるまでに、いつもより必ず10秒余計に要する。母が不憫なのだ。どうにか家に引き取れないかと考える。それができない十の理由が頭に浮かぶ。「無理だ、こうして会いに来るのがやっとだ」そう結論付け、踏ん切りをつけて、キーを回す。その間約10秒。

ももう若くなく、それなりに経験を積んできて、一瞬兆した考えに精神のバランスを崩されることはないが、それでも、そうした悔恨とか無念さが、積もり積もって、精神衛生上好ましくないことは疑いの余地がない。最近やけに白髪がめだちはじめたのも、それと無縁ではないはずだ。

仮に私が億万長者であれば、家全体をバリアフリーにして、寝室をひろげ、介護用の多機能ベッドを置き、介護士の方にも来ていただいて、母も、脳がじわじわ委縮すること以外は、これまでと変わらず、家族の一員として暮らすことができるだろう。そうなったらなったでまた別の問題が生じるのかもしれないが、少なくとも私も、介護老人保健施設の駐車場で、やたら重いイグニッションキーと格闘する必要はなくなるのだ……。

ん? 脳の萎縮……なんの話だ。

そう、レディオヘッドに話を戻そう。

彼らは、ポップスターになる夢を選び、それをかなえた。その道を選んだ以上、その道で生きるしかない。億万長者のポップスターとして曲を作り、アルバムを作り続けるしかないのである。

願いや悩みの大半がかなえられ解決された中で、それでも彼らが何を願い、何に悩むのか、私はそれを聴きたい。


"2+2=5" by Radiohead (Glastonbury 2003)

もちろんレディオヘッドというバンドがこれで終わるはずもなく、彼らはさっそく次作で新境地を、余裕しゃくしゃくの名盤を産み出してみせるのだ。

が、それはまた次の機会に……。

 

 

RadioHeadレディオヘッド アルバム考その5 アムニージアックAmnesiac

買って2〜3回聴いて、その後長くお蔵入りになっていたアルバムである。

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今回蔵から出してきて聴いているが、なかなかどうして悪くない。

前作キッドAから8ヶ月後のリリース。「もうかい?」と当時も驚いた記憶がある。

「2作続けてすごいの作っちゃったな〜」という手ごたえは、当然メンバーにもあったはずで、放熱と言うか、張り詰めたものを解放するのに、また、周囲からの期待を一度かわしておくためにも、これを早めに出しておく必要があったのかもしれない。

レディオヘッドのテンションに慣れた人はきっと拍子抜けする。リラックスしていて、これまでのように作り込んでもいない。それだけに気楽に聴けるし、流して聴く分には、彼らの作品中でも随一かもしれない。

当然、世間の評価は高くない。悪く言えば核がなく、まとまりに欠ける。より実験的で、かなり遊んじゃってる。

それにしても、こういう力の抜き方というのは、さすがイギリス人というか、世界屈指のアーティストになっても、全然気負いがない。

これがアメリカだと、商業ベースの音楽はとことん商業ベースだし、売れる為なら何でもやるという連中がうようよいる一方で、そうした世界に頑として背を向けて、マイナーレーベルと契約し、全米各地の小ホールを転々としながらライブ活動を続け、かっこいいがしんどそうな道を選ぶ連中も沢山いる。

両者は水と油で、アンダーグラウンドの(メジャーではないが質の高い)音楽シーンを愛する耳の肥えたファンは、商業ベースのアーティストを小ばかにしているし、金やら名声やら、その他の欲望も込みで音楽をやっている連中は、小汚いクラブやライブハウスに集う人間を歯牙にもかけない。

それも、アメリカという巨大な音楽シーンがあればこそ成立することで、メジャーがすべてダサいわけではないし、マイナーだから食えないということも全然ない。

レディオヘッドはイギリスと言うか、オックスフォードのバンドである。EMI傘下のメジャーレーベルと契約し、全世界で作品を売り、ワールドツアーを敢行するが、良い意味で垢抜けないところもある。OKコンピュータの次にキッドAを出して、「商業的自殺」とまで批評され、事実売上げは半減したが(それでも400万枚)、アーティストとしてはさらに飛躍した 。

売上げが減ることなどお構い無しで、さらに売れなさそうなこのアムニージアック( 健忘症という意味らしい)なるアルバムを出したりする。

メジャーなのに求道的、そうした身の振り方も、幅広い層の音楽ファンから愛される理由の1つだろう。

 まったく気負わず、肩の力を抜き、実験しながら遊んでいるのに、曲のクオリティは相変わらず高く、レディオヘッドらしい着想のきらめきが随所に散りばめられている。

また蔵に戻すことになるかもしれないが、何かの拍子にまた引っ張り出して聴くかもしれない。私にとってはそういう作品である。


Life In A Glasshouse - Live on Jools - 2001 (Radiohead - Amnesiac)

 

RadioHeadレディオヘッド アルバム考 その4 キッドA Kid A

今回はキッドA。リリースは2000年。前作から3年。

 

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最初にこのアルバムを聴いた時のズッコケ感はハンパなかった。

「ギターどこ行った?メンバー替わったのか?」

OKコンピュータの続編を期待していたのだから当然そうなる。

もちろん全部とは言わないが、イギリスのミュージシャンには伝統的に、聴き手の期待を裏切ることに喜びを見出す連中が少なくない。ビートルズツェッペリンもそうだったし、ヘビーメタルの帝王アイアンメイデンでさえ、途中で音を変えてファンからずいぶん叩かれた(ヘビメタは超保守的な世界だからね)。アルバムごとにジャンルからがらりと変えてしまうデビッドボウイのようなカメレオンアーティストもいる。

なにしろマンネリが嫌なんだろう。そもそも親の期待に応えていたら、彼らがミュージシャンとして身を立てることもなかったわけだ。

歳をとれば人は変わる。表現の仕方も、表現の中身も変わってくる。自己を分析し、人間や人生をテーマに曲を作るなら、刻々とそれが変化するのはむしろ当然で、同じものを期待するのはファンの側の停滞、それを供給するミュージシャンの曲はプロダクトでしかない。

エレクトロニックサウンドへの傾倒は、ベンズの頃から徐々に兆しを見せていた。はじめトムヨークがトランスやレイヴにハマったらしい。

私自身、当時はもっぱらテクノを聴くようになっていて、期待を裏切られたからというより、テクノではないという理由で、このアルバム以降しばらくレディオヘッドをおろそかにするようになった。

余談その1。バンドが日の目を見る前、トムはクラブDJをやっていたこともあるらしい。

余談その2。その後レイヴはカラフル馬鹿の集まりみたいになってしまったが、日本においても、初期の頃は本当に面白かった。遊び疲れた後に迎える夜明けは格別だった。

六本木にスピークイージーというクラブがあって、  フロアが二つに別れていて、ダンスフロアで恍惚となっては、最地下のチルアウトスペースで自分を取り戻す、という作業を夜っぴて繰り返していたのをふと思い出してニヤニヤしてしまう。 

それから数年経って、テクノの熱が一段落し、  テクノの要素のない音楽にあまり魅力を感じなくなっていたが、そういうタイミングで、改めてこのキッドAをひっぱり出して聴いてみて、とんでもない名作だったことに随分遅ればせに気づいたのである。

全編素晴らしいが、特に後半は神々しささえ覚える。

3曲目の『The National Anthem』が私にとっては鬼門で、人気があり良い曲なのだが、このアルバムの中ではなかなか厄介な存在で、禅的な集中をかなり削がれる。

で、4曲目と5曲目が完全なチルアウト、そこから6曲目、『Optimistic』のイントロ~狂騒の夜をこえて迎える朝を思わせる~が始まる。

プリミティブなドラミングが前を向け、歩け、と背中を押す。

格段に包容力を増したトムの歌唱。

精一杯やったんなら

全部出し切ったんなら

それで十分だ

一歩一歩階段を登るように音色を上げていくギターのアルペジオが印象的だ。

メンバーが発するすべての音が一体となって壮大な世界観を描き出す。


Radiohead - Optimistic - Live From The Basement [HD]

 

続く「in limbo」は死後の世界を思わせる幽遠なナンバー。

まとわりつくようなサウンド。遅れてくるギター。

ほんの数年前「俺は気持ち悪い~」なんて歌っていたトムが、ショットガンみたいな爆音を掻き鳴らしてバンドが、生死の狭間をたゆたうような幻想的な曲を奏でていることに驚かされる。 


Radiohead - In Limbo - Sub Español

 

続く8曲目『idioteque』は、このアルバムだけでなく、おそらくレディオヘッドのすべての楽曲の中でもハイライトと言える存在だろう。

人が奏でる音。機械が発する音。そしてトムの歌声。

無駄を削ぎ、最低限の音で、無限の世界を描出している。

能ある鷹は爪を隠すというか、ずいぶん捨てたもんだな~と感心するのである。

 

radiohead idioteque

 

ただのバンドじゃない。ビートルズがそうだったように、才能に恵まれていたのはもちろんだが、物質世界に飽き足らず、精神世界の扉を開き、それを表現するという苦難の道を歩き出したことで、レディオヘッドというバンドは、才能を昇華させ、唯一無二の存在になり得たのだと思う。 

このアルバムは今後も当分聴き続けるだろう。もったいないのでまとめて聴いたりはしない。年に2度か3度、ここぞの場面で。

 

RadioHeadレディオヘッド アルバム考 その3 OKコンピューターOKComputar

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このアルバムはいろんな意味でモンスターである。 

まず売れ方。全世界で 850万枚。いまだに売れ続けている。

リリースは97年5月。その前からまわりで話題になっていて、すぐに買って聴いたのを覚えている。

このアルバムがモンスターである理由その2。アルバムを通して、曲が掻き立てる感情の量が尋常じゃない。心に波風が立ちまくる。そのほとんどは絶望的に暗く、儚く、美しい。

当時は、どうしても途中でしんどくなって、全曲通して聴くことができなかった。今にして思うに、私もまだ若く、ポーズは別として、絶望とは縁のない軽やかな輩だったから、心にあふれる得体の知れない感情に、どう対処していいかわからなかったのだろう。

私の事ばかり書いて恐縮だが(ブログだからそれでいいのか)、当時は、週末は狩猟採集、平日は農耕牧畜と解りやすく(にくい?)スケジューリングしていたので、毎日が非常に忙しく、さらに基本アッパーだったので、レディオヘッドが抱える深刻な問題に、親身に耳を傾けてやることができなかった。楽には聴けなかったのである。

ただ、日曜の夜だけは、ぽっかりと予定が空くことが多く、そうなるよう仕向けていたのかもしれないが、誰とも会わず、電話もミュートして、本を読んだり、ライターもしていたので原稿を書いたり、部屋にこもって地味に過ごすのがパターンになっていた。

その流れでこのアルバムも聴いていた。翌日からの仕事の憂鬱も手伝って、どよーんと落ちるのだが、それが決して不快ではない。一切皆苦、人生は苦なりと、身もふたもないことをお釈迦さんも仰っているが、イケイケの生活がいつまでも続くはずがないと自分でも分かっていたし、あるいはそっち(日曜の夜の憂鬱)の方が、本来の自分にふさわしかったということかもしれない。

それでも私の場合、何事もなかったかのように月曜の朝を迎え、仕事と遊びにかまけてそうした憂鬱を紛らす道を選んだが、レディオヘッドというバンドは、それを突き詰め、その正体を見極め、ものの見事に表現してみせた。一流と凡人の違いと言ってしまえばそれまでだが、あそこで立ち止まり、ぽっかりと口をあけたあの深淵をのぞき込む勇気は、残念ながら私にはなかった。

それでも、いかな凡人でも、さすがに40も半ばを過ぎると、絶望と背中合わせで生きることが当たり前になってくる。改めてこのアルバムを聴いても、途中でKOされることはないし、最後まで心穏やかに聴ける。レディオヘッドが2年で駆け上がった坂道を、こちらは20年かけてとぼとぼ登ってきたということか。無論いまだ道半ばではあるが。

 


Radiohead - Paranoid Android (live)

いやこれカッコ良すぎでしょ(笑)

ボーカルのトムもギターを弾くので、このバンドにはギタリストが3人いる。そしてこのアルバムは、ギターロックのある種の到達点だと言えるだろう。それぐらいギターの音が多彩で表情に富み洗練されている。

しかし彼らは、次作であっさりと、これまで積み上げてきた音楽世界をかなぐり捨ててしまう。一刻たりとも同じ場所にはいられないというように、また新たな頂をめざして歩き出してしまうのだ。OKコンピュータの続きを期待していた私は裏切られ、最初は戸惑ったが‥‥、いや、それはまた次の機会に。

ともかく、ギターを全面に押し出したサウンド でひとつのピークに達した彼らは、それ故に、かえってその限界を知り、〝ここにはもう何もない〟という心境に立ち至ったのだろう。

「とんでもなく高いところから俺の上に雨が降ってくる」

彼らにおいてもまだなお道は、その先に果てしなく続いていくということなのだろうか。